あるじの小言

「あるじの店」(BAR Virgo)や洋酒(特にウイスキー)、スコットランド、まれに赤坂について書いています。

 ハイランドとローランドの境

昨日モルトスコッチの地域分けの話を簡単に書きましたが、ハイランドとローランドの境については、スコットランドの東にある港町ダンディーと、西のグリーノックという街を結んだラインを境に、北をハイランド、南をローランドというんだというところで終わったので、なぜこのラインを引くことになったのかをちょっと書きたいと思います。
先ずウイスキーをハイランドとローランドと分ける様になったのは、1784年モロミ法(発酵醪法)という英国の法律に由来します。
この法律でハイランドとローランドの線引きをし、北のハイランドと南のローランドでは税金を変えたそうです。
細かい数字は挙げませんが、簡単に言うと北の方が軽く、南の方が重い税制です。
要は南のウイスキーの方がイングランドに入ってくるので(近いから)、イングランドの蒸留業者を保護する為に制定したようです。
まっ!この法律はそんなに長くは続かないんですけどね。って言うかスコットランドに対しては全体的にどんどん厳しい税金が掛かるようになっていたんですよね。
まっ、そんな訳でこの時からウイスキーの生産地域として、ハイランドとローランドに分けられるようになったそうです。
では、なんでこのダンディーとグリーノックを結ぶラインだったのでしょう。
ってなると、今度はスコットランドの歴史に関わってくるのですが、ハイランドと  ローランドを分ける時に基準となる基のラインがあったのです。
それは、ローマ帝国の時代にまで遡るのですが、西暦142年から144年に若干現在のラインとはずれますが、アントニヌスの長城というローマ人が築いた防塁があります。
ローマ帝国グレートブリテン島を侵攻した時の北限が、このアントニヌスの長城なのです。
要は奪った土地を、当時のハイランド地方に住んでいたピクト人に取り返されないように造った防塁なんですね。
そして、この長城を造るのも短い期間で造らないといけない為、地図で見ると分かるのですが、国土の東西が狭い場所が選ばれているのです。
そしてこの時の西側がクライド湾の奥になるのですが、現在のラインであるグリーノックもクライド湾に面した街で、東は当時フォース湾の奥のフォルカークでしたが、ダンディーはそこから若干北上しただけ場所にある港町なのです。
なので、本当にアントニヌスの長城とハイランドとローランドの境界(ライン)は近く、如何に歴史的なラインが重んじられたが分かるんですよね。
まっ、そんな訳でウイスキーの生産地域としてハイランドとローランドが分けられた訳と、その基となったラインがあったという話でした。
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