あるじの小言

「あるじの店」(BAR Virgo)や洋酒(特にウイスキー)、スコットランド、まれに赤坂について書いています。

 グレングラント・セミナー

barvirgo2013-10-18

先日、シングルモルトスコッチウイスキー、「グレングラント」のセミナーに行ってきました。
「グレングラント」は、日本では今年アサヒビールが正規代理店として発売するまでは殆どオフィシャルボトル(蒸溜所元詰)の流通はなく、インデペンデントボトラー(独立瓶詰業者)がリリースする物だけが市場に出回っていただけなので、知名度としては低いかもしれませんが、シングルモルトウイスキーとしては世界第6位の売上げがあるウイスキーなのです。
そして今回知ったのですが、特にイタリアでは人気が高く、ここ30年近くシングルモルトウイスキーとしてはイタリアで一番の売上げを誇っているそうです。

そんな「グレングラント」、創業は1840年で、ジョンとジェームスというグラント兄弟により設立されたそうです。
ジョンを弟のジェームスが助けるというかたちで蒸溜所の運営がなされていたそうです。
因みに弟のジェームスは政治家でもあったそうで、1852年に蒸気機関車を蒸溜所まで引いたり、1861年には蒸溜所で使用する水を利用して電気を引いて地元ロセスの街にも供給するなど蒸溜所や地域に大きく貢献した方だったそうです。
そしてこうした事もあってか、スコットランドで唯一グラントという人の名前が付けられたモルトウイスキー蒸溜所となっているそうです。
そして、「グレングラント」の現在の味わいの基礎となる蒸溜方法を考案したのが、ジョンとジェームスが亡くなった後を引き継いだジェームスの息子ジェームス・ザ・メージャー・グラント氏で、1872年25歳で蒸溜所を引継ぎ、ポットスティルにピューリファイヤ(精留器)を付け、ライトでフルーティな酒質を生み出したそうです。
またそれまで手作業でモルティングしていたのを、1898年にフロアモルティングという手法を取り入れたのも彼だったそうです。
そして1978年まではグラント家が蒸溜所を運営していたそうですが、1978年にシーバス社の傘下に入り、グラント家としては4代で潰えたそうです。
とはいえ、その伝統はオーナーが変わった今でも引き継がれているそうです。
という話をまず聞いて、それからプロダクトについて伺いました。
そしてここでも先に触れたピューリファイヤの説明があり、1870年代当時に他の蒸溜所とより大きく味わいを変えようということで導入し、初溜釜、再溜釜にもピューリファイヤが付けられているそうです。


因みにピューリファイヤはポットスティルとコンデンサーの間にあり、ポットスティルで熱せられて気化した蒸気の一部をコンデンサーで冷やして液化する前に回収し再びポットスティルに戻す装置で、これによって蒸気中の重い成分はコンデンサーまで届かず、ライトな酒質のウイスキーが造れるそうです。
それ以外プロダクトの特徴として大きな違いはさほど無く、スコットランド産の大麦を100%使っている事と、ウォッシュバックは木製(オレゴンパイン)を使っているといったところかなと感じました。
そうそう、それと今年になってボトリング工場が敷地内に完成し、スペイサイドで唯一全ての製品を蒸溜所内でボトリング出来る蒸溜所になったそうです。
そしてウイスキーですが、「グレングラント」のキャラクターコンセプトとして熟成年数が違ってもあまり色が変わってはいけないというのがあるそうで、今回試飲させて頂いたウイスキー含め、全てのシングルモルトウイスキーの色が殆ど同じライトゴールデンカラーだそうです。
そして味わいもフルーティでライトな感じに仕上げているそうです。
で、実際セミナーでは4種類試飲させて頂いたのですが、本当にフルーティで特にリンゴを感じさせる味わいのウイスキーでした。
また蒸溜所も以前はブレンデッドウイスキーの原酒を造るという色合いが強かったそうですが、2006年カンパリグループの傘下に入り、シングルモルトウイスキーとしてもっと世界中に売っていこうと変わったそうなので、日本でも今年からアサヒビールが代理店となり販売に力を入れるようですし、価格も手頃なので、是非皆さんも「グレングラント」、飲んでみてください。

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