あるじの小言

「あるじの店」(BAR Virgo)や洋酒(特にウイスキー)、スコットランド、まれに赤坂について書いています。

 ニッカウヰスキー創業80年記念セミナー

barvirgo2014-07-07

が先週ニッカの創業記念日である7月2日(水)に行なわれました。
そこにあるじも呼んで頂いたので、その時の話に合わせ見せて頂いたスライド写真を何枚かここで紹介させて頂きます。
若干あるじの座った場所の関係で見づらいところもありますが、ある程度スライド写真の文言でニッカウヰスキーウイスキー造りが創業者竹鶴政孝氏の思いと共に感じて頂ければ幸いです。 (写真はクリックして頂ければ大きく表示されます)








右下の写真は、ヒューム元英国首相が来日した際、仰った有名な言葉「日本から来たひとりの若者が1本の万年筆とノートで我が国門外不出のウイスキーづくりの秘密を盗んでいった」と言ったその後に、実はこんな事も言っていたというエピソードで、これは今まであまり知られていなかったので面白いなと思いここでもちょっと紹介



真ん中の写真で、日本で最初の蒸溜所がなぜ山崎に出来たのかを知る一端が示されているのですが、セミナーでは裏話として実は寿屋社長の鳥井信冶郎氏は、蒸溜所を自分の家の前に建てて欲しいと言っていたそうです。
そして写真右が北海道がどうしてウイスキーづくりの理想の地なのか、その説明していて、鳥井氏と竹鶴氏のウイスキー造りに対する考え方の違いが垣間見えますよね。



そして今日紹介する最後の3枚ですが、左が余市でのウイスキー造りに対する竹鶴氏の思い、それと残りの2枚が奥様のリタさん対する愛情を示すもので、真ん中は余市スコットランドのキャンベルタウンに似た風景だったから、奥様の故郷の景色に似た余市を蒸溜所建設の場所に決めた1つの要因にしたであろうというもので、写真右は奥様の実家カーカンテロフの玄関と同じ様な玄関にした家を建ててあげていたんだというものです。
それと今回のセミナーではこのあと「竹鶴」2種類と「カフェグレーン」、「カフェモルト」のテイスティングセミナーが行われ、ニッカのウイスキー造りに対する拘りをウイスキーを味わいつつ説明して頂きました。
ヒゲのウヰスキー誕生す (新潮文庫)
そして今回のセミナーで聞いた話なんですが、これは先月から再販された「ヒゲのウヰスキー誕生す」を読んでいただくと、結構似た内容なので是非この「ヒゲのウヰスキー誕生す」を読んで頂きたいと思います。

にほんブログ村